誰も口を開こうとしない。
ただ鉛のような重苦しい沈黙が、この場を埋め尽くしている。
誰も手を伸ばそうとしない。
乾き切らない血の海に半ば沈んだ、目に覚えのある荷物に。
誰も認めようとしない。
それが無言のうちに暗示することを。
女は苦しげに目を伏せて。
少年は驚愕と憤怒、それに興味が入り雑じった目で、全てを見逃すまいとでもするように目を見開いて。
獣の一匹は土に吸われゆくだけの涙を流して。
『…………嘘ですよね』
蚊の鳴くような小さな声で、獣の呟きが漏れる。
二人はそれに答えない。女は静かに頭を振って、少年は動きすらせず。
女が、俯いた頭を手で覆った。
「私だってそう思いたいわ、でも……」
その続きは、ついに聴こえなかった。抑えた嗚咽が、代わりに響いた。
それでも大した意に介さない様子で、少年は荷物へ手を伸ばす。
白い
コートが血に濡れるのも気に留めずに屈み込み、荷物の肩紐の一方を掴んで持ち上げる。
木にでも引っ掛けたのか、裂けた布の隙間から紅白のボールが零れ落ちる。血の海に落ちて一面真っ赤になったボールを手が汚れるのも構わず拾い上げて、辛うじて汚れていない部分の布で手ごと拭き取った。
ボールの中身を確認しながら、少年は言う。
「ボクはそう思わない」
「俺もな!」
その後に、森の中から歩いてきたもう一人の、野球帽を被った少年が叫ぶように言った。コートの少年はそちらを見ることなく、荷物の裂けた口から手を突っ込みながら返す。
「あんたの見解はどうでもいい。フワライド見つかったの?」
「セイジ、そんな言い方……」
「ライトは見つかった。ただ……」
「あいつは居なかったんだね?」
荷物からさらに紅白のボールを
取り出して、コートの少年は初めて
帽子の少年に目を向けた。帽子の少年は無言で頷く。
「けどよ、ここにも居ないってことは、……その、見つかってない、ってだけだろ?だからあいつが死んだなんて……」
「あんたは感情的にあいつが死んでほしくないって思ってるだけでしょ?だからあんたの意見なんかどうでもいいって言ってるんだ」
一瞬。
その一瞬で大きく間合いを詰めた帽子の少年が、コートの少年の襟首を掴んだ。
頭一つに近い身長差故に持ち上げられるような形になったコートの少年が怯んで、それも構わず帽子の少年が怒鳴った。
「何が悪い!……お前は思ってねェのかよ、心配してねェのかよ!?」
「してないよ。ボクはする必要なんかないって思ってる」
帽子の少年が握り拳を振り上げた。目を見開いた女の金切り声が響く。
「やめなさい!!」
返ってきたのは声でなく鈍い音だった。
血の海に倒れ込んだコートの少年が起き上がる。追いかけるように、粘着質な水音がする。殴られた片頬を押さえた、その手も赤く染まっている。
未だに息を荒げる帽子の少年を上目遣いに見上げて、彼は顔を歪めながら切れた唇を動かす。
「……あいつ自体の心配はしないけど行方は気になるよ、今頃どこで被害出してんのかって意味でね。あと殴るんなら人の話最後まで」
「被害?……おい、そりゃどういうこった」
「ほら最後まで待たないじゃん。まあいいや、今は勘弁しといてやる。……あいつは望めば、むしろ望まなくたって指一本で他人殺せるような化け物なんだよ。あんたが分かってないだけだ。見てはいるんだろうけどさ」
息を呑む音がした。
それが帽子の少年のものなのか、それとも女のものなのかは判別がつけがたかった。もしかしたら、双方が同時だったのかもしれなかった。
「……どこの
ファンタジーだ、そりゃ?
ポケモンの技にだってそんなの聞いたことないぜ」
「残念ながら現実だよ。ポケモンより強い化け物ってのは実在したのさ。それもすぐ身近にね」
とってつけたような苦笑と、明らかに苛ついた視線がぶつかりあう。今度は帽子の少年が気圧されて、真面目な顔をせざるを得なくなった。
「……冗談じゃなさそうだな」
「当たり前じゃん。今更気付いた?ホント遅いし」
たった一言で目に見えて頭に来た帽子の少年を軽く無視して、コートの少年は軽く周囲を見回し始める。
「あいつが動き回ってんなら、その時に藍色……っていうか、濃い青?っぽい光が見えるんだよ。で、見つけたら――」
ある一点に目を向けたまま、言葉ごと彼が止まった。他の二人が、指されたその先を追う。
何もなかった。
ただ何のへんてつもない土と草、それに少々の小石が転がっている、森の他の場所と何の変わりもない光景だった。
「おい、どうしたよ?」
「……何処行った?」
噛み合わない会話に首を傾げる間もなく、少年の次の言葉が続く。
「ミルラさあ、さっきまでそこにいたじゃん?……何処行ったの?また探す人数増やしたいの?」
彼は走っていた。
何処とも知れない森の中を。
何処に向かうなんて考えてはいなかった。
ただ彼の頭には、今まで彼の前から消えていった人々が去来していた。
『早いな、もうそんなに経つのか……あの子と本気でバトルできる日も、そう遠くないのかもな』
10年を共に過ごした、そして突然死んだと言われた、一番最初の
トレーナー。
『貴方には死神すら共に退けた仲間がいるでしょう。……私には貴方の他にもう一人、見守らなければならない人がいるのです。安心したらちゃんと戻ってきますよ』
時間の止まっていた自分を助け出して、野生として生き始めた自分を様々な面で助けて。
そして姿を消したきり、ずっと戻ってこない二人目の保護者。
そして。
『本当に来るか、……迷わないか』
すぐ前まで自分とともに戦っていたはずで、小さな頃からよく見知っていて、だがその頃とはあまりに違う、ただその動作の端々に見知った彼女を覗かせる、第二のトレーナー。
(貴方まで、そんなことをするんですか)
責める対象が間違っていることを、彼はよく分かっていた。
ただそこ以外に、怒りとも悲しみとも憎悪ともつかない感情を向けられる矛先を思いつかなかっただけ。
(貴方まで)
「――僕を、置いて行くんですか!!」
誰にも吐き出せなかった叫びが故に、聞く者は誰もいなかった。
ただ、彼はそれでも構わなかった。
本当に聴いて欲しい人は、いつでも隣にいないのだから。
いなくなってから、初めて言いたくなることなのだから。
「あなたは置いてきぼりなの?」
唐突に高い声が割り込んだ。音としては高いが中身は特別なことのない、憐れみも同情も心配も嘲りも何も含まれていない。
朝ごはんに何を食べてきたの、と何の気なしに友人に訊くような、そんな口調。
声の主はミルラの目前に立つミミロップだった。
全体的に薄色をした体に、首に巻き付けた深紅の
スカーフがよく目立つ。森の中にいるにはあまりに不釣り合いな小さなレジ袋を片腕にかけて、さらにその腕で何かを抱えて持っている。
「あ、危ないっ!」
止まり切れなかったミルラが、スライディングのように彼女に突っ込んだ。
彼女はそれに動じることもなく、受け止めるにはあまりに細い片腕を突き出す。
「えい」
赤い光が走った。
同時に、突然現れた不可視の壁に激突したミルラが反動で数歩後ろへ下がる。
ミミロップは気に留めず、腕の中に抱えた何かを見た。
「ひどいわ、そんなに乱暴にしたら割れちゃうじゃない」
本気で怒っているわけではない。定型文句として言ってみただけ、というような、やはりどこか感情のこもらない口調。
ただ、その腕に何か大切そうなものを持っていることだけが事実。
「す、すみません!……タマゴか何か、持っているんですか……?」
慌てて頭を下げたミルラは、ミミロップの腕の中を見てみようとする。
ミミロップは小さく笑い声を上げた。初めて、感情らしい感情の入った声を上げた。
「そうね、私にもわからないの。これが何か聞いて回っているんだけれど、あなたは何か分かる?何か、生まれそう?」
彼女が差し出したのは、紅い珠だった。
人間の手のひらより小さな真円形。表面に無数に入ったひびが光を乱反射して、むしろこの方が完全なものより美しいのではないかと思わせるような。
しかしその傷のせいで、ともすれば今にも崩れ去ってしまうのではないかと危惧させるような。
ただこれが何かと訊かれて、思い付く形容は珠以外に思いつかなかった。
「……すみません、僕には分かりません。どこかで見たような、という気はするんですが……」
「そう。わかったわ」
頷くと、ミミロップは珠を再び大事そうに抱えた。移動していく珠を、ゆっくりと目で追う。
見覚えはあるのに思い出せない。それなのに、このまま見送ることがひどく不安になる。
このまま行かせたら、二度と出会えない気がして。
「それじゃ」
そのままミミロップは
背中を向け、森の獣道を歩いていく。
その姿よりもあの珠が妙に気にかかって、ミルラは考える前に声を上げていた。
「ま、待って……!」
ミミロップが振り返った。相変わらずその顔に特筆するほどの表情は浮かんでおらず、出される声も同様に。
「どうしたの」
「……それ、何処にあったんですか……?」
ミミロップは僅かに首を傾げて、呟く。
「私の、秘密の場所」
それだけ言うと彼女は去った。先程より足早に、そして小柄なその姿はすぐに背の高い茂みに紛れる。
追うでもなく探すでもなく、ミルラはいつまでもその場に立ち尽くしていた。
――――
・酷い薄幸ぶり
誰か彼に平穏をあげて下さい……(丸投げ
本当に何だこの薄幸ぶりは。
・弟君が好き勝手言ってる件
あれが真正彼の本音です。
言い方酷い部分はあれど、内心あんな感じ。
・で、結局生きてるの?
微妙です。